4月25日第238回例会

 4月の北研例会では、小原茂巳先生を講師にお迎えし、第1部に仮説実験授業のワークショップ、第2部に北原先生と小原先生が互いの質問に答える対談・質疑応答を行いました。

 第1部では、参加者自身が生徒役となり、授業書《自由電子が見えたなら》をもとにした授業を体験しました。第2部では、校内暴力が大きな問題となっていた時代に同じ地域の中学校で勤務していたお二人が、それぞれどのように授業をつくり、子どもたちや周囲の教員と向き合ってきたのかを語り合いました。授業中の子どもの姿を何よりも大切にし、「楽しく、しかも実力のつく授業」を追究してきたお二人の共通点と、教師としての対照的な生き方の両方が浮かび上がる例会となりました。

第1部 小原茂巳先生による仮説実験授業のワークショップ

「夢中になって学べることに出会えるのは幸せ」

 ワークショップの冒頭、小原先生は、休日の午後に研修会へ参加する部員たちに向けて、「夢中になって学べることに出会えるのは幸せ」と語られました。また、ご自身が授業を続けてきた理由について、人の笑顔を見ることや、人に喜んでもらうことがうれしいからだと話されました。

 小原先生は長く中学校で科学を教え、その後、楽しい授業のできる教師を育ててほしいという依頼を受けて大学でも教えてこられました。定年後も学校現場で授業を続けているとのことで、「授業というものは人を喜ばすことができる」という言葉からは、授業を通して子どもに「分かった」「できた」という喜びを生み出したいという思いが伝わってきました。

 今回体験したのは、授業書《自由電子が見えたなら》の導入部分です。本来は数時間から十時間ほどかけて扱う内容の一部を、参加者が生徒役となって体験しました。小原先生は、「良い科学教材は、小学生から大人まで、学年や年齢を問わず使うことができる」と説明されました。実際に、小学校で学習する「電気を通すもの・通さないもの」を入り口としながら、最後には自由電子の考え方を使って未知の物質について予想できるところまで、問題が段階的に構成されていました。

予想から始まる全員参加の授業

 黒板には、電池と豆電球をつないだ回路が掲示されました。回路の途中に調べたい物を挟み、電気が流れると豆電球が光る仕組みです。場合によっては、光だけでなく音でも通電を確認できるよう、ブザーを付けることもあるそうです。

 最初に提示されたのは、一円玉でした。「一円玉を回路につないだら、豆電球は明るくつくか、つかないか、それとも別の結果になるか」と問い、参加者は次の三つから一つを選びました。

「ア 明るくつく」
「イ つかない」
「ウ その他」

 会場とオンラインの参加者を合わせると、「つく」が6人、「つかない」が16人、「その他」が1人となり、「つかない」と予想した人が多数を占めました。小原先生は、一人一人の挙手を丁寧に数え、オンライン参加者の予想も確認し、それぞれの人数を板書しました。参加者からは、この手続きによって、自分も授業に参加しているという実感が生まれたとの感想が寄せられました。また、一人一人の目を見ながら人数を確認する姿から、「自分の存在を認めてもらっている」「自分の考えを大切にしてもらっている」と感じられたという声もありました。

 予想を選んだ後は、その理由を出し合います。「一円玉はアルミニウムだから通しそう」「電気分解されるので通さないのではないか」「混ざり物があるので、ついたり消えたりするのではないか」など、参加者からさまざまな考えが出されました。

 小原先生は、理由を尋ねる際、「なんとなくでもいいよ」「迷ったら『どれにしようかな』で選んでもいい」と声をかけます。特に中学生は、自分の考えが正しいかどうかを気にして発言をためらうため、答えることへの心理的なハードルを下げることが大切だと説明されました。

 理由を聞く順番についても、少数派から聞く方が、少数派の生徒を怖がらせずに済むことがあると話されました。一方、どの意見に対しても「ああ、いいね」「どれももっともらしい」と短く肯定的な言葉を返し、正解につながりそうな意見にだけ特別な反応を示さないようにしていました。教師は無意識のうちに正解の方を向いたり、表情を変えたりしてしまうため、「ポーカーフェイスが大事」という助言もありました。

 参加者からは、小原先生の発話が短く、ゆったりとしており、教師が一方的に説明するというよりも、生徒との間で緩やかなキャッチボールが続いているようだったとの感想が出されました。北原先生の授業とはテンポや表現方法が異なりますが、全員を授業に巻き込み、常に頭を働かせるという点は共通しているという受け止めもありました。

「予想―討論―実験」を繰り返す

 理由を聞き、参加者同士で考えを交流した後、小原先生は「予想を変えたい人はいますか」「自分の予想に自信がある人はいますか」と尋ねました。他者の意見を聞いて予想を変更することも認められ、変更した場合には、その理由を説明します。

 この手続きによって、生徒は最初に選んだ答えに固執するのではなく、他者の考えを材料にして、自分の考えを捉え直すことができます。単に正解を当てるのではなく、考えが変化していく過程そのものが授業の中で大切にされていました。

 いよいよ実験です。小原先生が「せーの」と言うと、参加者全員が「3、2、1」と声を合わせます。その掛け声とともに一円玉を回路につなぐと、豆電球が点灯しました。少数派だった「つく」が正解となり、会場からは驚きの声が上がりました。オンラインで参加した部員からも、画面越しであっても実験の瞬間に緊張し、結果が出るとわくわくしたという感想がありました。

 小原先生は、「科学は討論だけで決まるのではなく、最後は実験によって決まる」「多数派が正しいとは限らない」「実験で決まるので、恨みっこなしなのが科学のよいところ」と話されました。頭がよいから正解し、よく考えていないから間違えるのではありません。どの予想にも、その人なりの経験や考えがあります。間違うことは新しい世界に出会うことであり、学ぶために学校へ来ているのだから、間違えることにも意味があるという考え方です。

 一円玉の後も、同じ「予想―理由の交流・討論―予想の変更―実験」という流れで、五円玉、十円玉、百円玉、千円札を調べました。五円玉、十円玉、百円玉はいずれも豆電球がつき、千円札はつきませんでした。千円札を調べる際には、どの部分に端子を当てるかを明確にし、「科学では条件が大事」と確認してから実験しました。

 続いて、アルミホイル、食品用ラップ、木の箸、鉄くぎ、スチールウール、茶わん、鉛筆の芯など、身近にあるさまざまな物について実験しました。アルミホイル、鉄くぎ、スチールウール、鉛筆の芯は電気を通し、食品用ラップ、木の箸、茶わんは通しませんでした。物の名前と実物を貼った大きなカードが黒板に並べられ、それぞれの下に参加者の予想人数が書き加えられていったため、実験の積み重ねと考えの変化を視覚的にも捉えることができました。

個別の知識から「自由電子」という考え方へ

 物を一つずつ調べて、「これは通す」「これは通さない」と覚えるだけでは、知識が断片的になり、時間がたつと定着しにくくなります。そこで小原先生は、電気を通す物に見られる共通点として「金属光沢」を示し、さらに「自由電子」という考え方へと導きました。

 すべての物は原子でできており、電子には、自由に動くことのできる自由電子と、原子に束縛されている電子があること、自由電子が動くことによって電気が運ばれることが説明されました。鉛筆の芯に含まれる石墨は、金属ではありませんが電気を通す例外として扱われました。

 ここで重要なのは、自由電子についての説明を聞いて終わりにしないことです。新しく得た考え方を使って、まだ結果を知らない物について予想する問題が続きます。

 次に提示されたのは、菓子の飾りなどに使われる銀色のアラザンでした。食べ物であることから「電気を通さない」と予想する人もいましたが、「銀色に光っている」「金属光沢がある」という、今学んだ考えを使えば、「通すのではないか」という予想も成り立ちます。実験すると豆電球は点灯しました。参加者から「アラザンの名称は外国語の『銀』に関係しているのではないか」という発言もあり、英語教師の集まりらしい視点からも話が広がりました。

 さらに、銀色の折り紙は電気を通しましたが、金色の折り紙はそのままでは通しませんでした。金色の折り紙は、銀色の層の表面に黄色い透明な膜が付いているためです。表面をこすって膜を取り除くと、電気を通すようになりました。表面がコーティングされた空き缶や金色の紙箱なども、表面をこすることで電気を通す場合があることが紹介されました。

 「金属光沢があるから通す」と予想した人に対し、表面に膜があるため最初は通さなかった場合でも、小原先生は「半分当たっている」と声をかけました。単純に正解か不正解かで切り分けるのではなく、その予想の中に含まれている妥当な部分を認める言葉です。参加者からは、このように思考の過程を認めてもらえれば、たとえ最初の答えが外れても、次の問題に安心して取り組めるという感想がありました。

 アラザンや折り紙の問題では、「食べ物だから通さない」「折り紙だから通さない」といった、それまでの経験から生まれる考えと、「金属光沢があり、自由電子がある物は電気を通す」という科学的な見方とが、自分の中で対決します。小原先生は、この自分の中で起こる対決が大切だと説明されました。教えられた知識をそのまま受け取るのではなく、自分の予想と実験結果を照らし合わせ、考えを組み直していくからこそ、学習者自身が納得できるのです。

「分かったか」と聞かず、未知の問題に向かわせる

 小原先生は、「分かったか」と生徒に尋ねるだけでは、理解したかどうかは確かめられないと話されました。生徒自身も、本当に分かったかどうかを自覚できていない場合があります。そこで、新しく学んだ考え方を使わなければ解けない未知の問題を提示します。

 未知の物について予想し、実験によって確かめることができたとき、学習者は「この考え方でいける」と実感します。小原先生は、これを自分自身と「契約する」こと、すなわち自分の中で納得することだと表現されました。

 「分かったか」と確認するのではなく、実際に使わせることによって理解を確かめるという考えは、英語教育にも通じます。英語では、教師が文法事項を説明し、生徒が「分かりました」と答えても、それだけで使えるようになったとは限りません。実際に発話したり、相手に伝わるように表現したり、未知の場面で学んだ英語を使ったりすることで、初めて知識が実力になります。

 参加者からは、北原メソッドのスキット活動にも似た構造があるという指摘がありました。教師が不合格の理由をすべて説明するのではなく、生徒がペアで練習し、先に合格したペアの発表を見ながら、自分たちに足りないものを振り返り、再び挑戦します。理科では実験結果が答えを示し、英語では相手に伝わる発話や実演が学びを確かめる点に違いはありますが、教師が答えを先回りして与えず、学習者自身が考え、試し、変化していくことを大切にしている点は共通しています。

「びっくり」で終わらせず、一を知って十や百を知る

 小原先生は、目を引く実験を一、二回行い、生徒を驚かせて感想を書かせるだけでは、知識は残りにくいと話されました。仮説実験授業の「楽しい」は、単に珍しい現象を見せることや、一時的に盛り上げることではありません。

 個々の問題を順番に解きながら、背後にある共通の考え方を見つけ、その考え方を使って未知の問題まで解けるようにすることが目指されています。小原先生は、「一を知って一だけを知るのではつまらない。一を知ることで十を、百を知るのが理想的な楽しい授業」と説明されました。

 「基礎・基本」という言葉には、簡単で退屈なものという印象が付きまとうことがあります。しかし、本当の基礎・基本とは、広い範囲に応用できるからこそ価値があるものです。電気を通す物を一つずつ暗記するのではなく、「自由電子」という基本的な考えを身に付ければ、まだ調べていない物についても予想できます。

 「定着しないのは知識が断片的だから」という言葉を受け、自分の英語授業でも、一つ一つの文法や表現を個別に教えるだけになっていないか、既習事項をつなげ、未知の課題に使えるようにする仕掛けがあるかを見直したいという感想が寄せられました。

生徒を安心させ、前のめりにする教師の在り方

 ワークショップを通して、多くの参加者が、小原先生の穏やかな目線、ゆったりとした話し方、自然体の雰囲気に注目しました。小原先生自身が手順を飛ばしかけ、「僕はいつもこんなふうにおっちょこちょいでやっている」と話す場面もありました。教師が必要以上に完璧に振る舞わず、力を抜いていることも、生徒が安心できる教室の空気につながっているように感じられました。

 一方で、その穏やかさの背後には、周到な教材研究があります。どのような問題でも予想させればよいのではなく、「本当に予想するに値する問題か」「生徒が自分から予想したくなる問題か」を吟味しなければなりません。一つの結果が次の問題への疑問を生み、生徒が考え続けるように、問題の順序が緻密に組み立てられていました。

 選択肢を用意して全員がまず自分の立場を決められるようにすること、「なんとなく」でもよいと認めること、少数派の意見も聞くこと、予想を変更できるようにすること、教師が短く肯定的に応答すること、実験の瞬間を全員で共有することなど、一つ一つの働きかけが、全員参加の授業を支えていました。

 参加者からは、「手を挙げることにはためらいがあっても、指名されれば自分の考えをしっかり話せる中学生は少なくない」「自分の意見を教師に拾ってもらえれば、生徒はうれしくなり、前のめりになるのではないか」との気づきがありました。また、年度当初は教師側のペースで授業を進めることに精いっぱいになり、生徒が発しようとしていた考えを十分に受け止められていなかったかもしれないと、自身の授業を振り返る声もありました。

第2部 互いの質問に回答する

 第2部では、「生徒、保護者、同僚、管理職を味方につける教科指導と生徒指導」をテーマに、北原先生と小原先生が互いに用意した質問に答えました。お二人が出会った当時の学校の様子、教師になった頃の授業、仮説実験授業や北原メソッドとの出会い、正反対に見えるお二人がなぜ親しく交流してきたのかなどが、率直に語られました。

荒れた学校で出会った二人

 お二人が出会った頃は、校内暴力が大きな社会問題となっていた時代でした。北原先生は、板書のために生徒に背中を向けないよう先輩から注意され、実際に授業中、投げられたコンパスが黒板に刺さったこともあったと振り返りました。反抗的な態度を見せる生徒が多く、教師が常に緊張を強いられる学校現場でした。

 北原先生の授業では、「分からない」と威圧的な態度を取っていた生徒たちが、小原先生の理科の授業になると、無邪気な子どものような表情を見せ、夢中になって参加していました。北原先生は、その姿に強い衝撃を受け、小原先生の授業を何度も見に行ったそうです。

 なぜ同じ生徒が、授業によってこれほど変わるのか。どうすれば英語の授業でも、生徒たちが生き生きと学ぶ姿を実現できるのか。その問いが、北原先生の授業づくりに大きな影響を与えました。

仮説実験授業と出会う前の授業

 北原先生から、「仮説実験授業を始める前の授業はどうだったのか」と質問されると、小原先生は、自分はもともと「でも・しか教師」に近かったと率直に振り返りました。特別な使命感があって教師を選んだわけではなかったものの、教師になった以上は、生徒から人気があり、信頼関係を築ける教師になりたいという理想は持っていたそうです。

 当時、「教室は間違うところ」という考え方に影響を受け、生徒に自由に任せればよい授業になるのではないかと考えたものの、実際の授業はうまくいかず、教室は落ち着かない状態になりました。このままではいけないと悩む中、藁にもすがる思いで出会ったのが仮説実験授業でした。

 仮説実験授業を始めると、授業後に生徒が書いた感想に、「授業が楽しかった」「わくわくした」「意見を言えた」といった言葉が並ぶようになりました。その感想文の束を自宅へ持ち帰って読み、一人で涙を流したこともあったそうです。

 小原先生は、教員採用試験に合格すれば、制度上は教員になることができるが、本当の意味で「先生」になることは容易ではないと語りました。生徒から授業を評価され、「先生の授業が楽しい」と言ってもらったことで、初めて自分が教師になれたと実感したのです。「仮説実験授業が僕を教師にしてくれた」という言葉が、多くの参加者の心に残りました。

なぜ授業に力を集中したのか

 北原先生は、小原先生が部活動や生活指導から距離を置き、授業に力を集中した理由も尋ねました。

 小原先生は、若い頃には運動部を担当し、生活指導にも関わっていたものの、やがて授業そのものの魅力に引き付けられていったと話しました。学校には、部活動、行事、生徒指導、授業など、教師がそれぞれの得意な分野で力を発揮する場があります。すべてを得意にするのではなく、自分は学校教育の中心にある授業を「得意技」にしようと考えたそうです。

 問題行動が起これば真っ先に駆け付ける北原先生に対し、小原先生は最後に現れることが多く、申し訳なさを感じることもあったといいます。しかし、授業では子どもの笑顔を見ることができました。授業に力を入れ、生徒に実力を付ければ、生徒だけでなく、保護者、同僚、管理職からも理解を得ることができます。

 当時は、「授業が命である」「楽しい授業をつくることが教師の中心的な仕事である」と教えてくれる人がほとんどいなかったそうです。その中で小原先生は、授業という一点に力を注ぎました。「全部を狙ってはいけない。一点突破すれば、自然に仲間が集まり、人が人を呼ぶ」「誰にでも一つは得意技が必要」という言葉は、すべての場面で完璧に働かなければならないと考えていた参加者に、勇気を与えました。

 小原先生の授業実践は、やがて出版や映像化など、さまざまな縁につながり、大学で教師を目指す学生を指導する機会にも結び付きました。「楽しい授業」が人と人との縁をつないでいったというお話でした。

「戦う北原先生」と「戦わない小原先生」

 教師としてのお二人の行動様式は、対照的でした。

 北原先生は、生徒指導上の問題が起これば真っ先に現場へ向かい、管理職や組織に対しても、必要だと思えば正面から意見を述べてきました。若い教員たちと集まり、学校運営を変えるための方法を考え、学年主任に立候補して校内の運営組織にも入っていったそうです。

 一方、小原先生は、自らを「戦わない」教師と表現しました。問題が起きてもすぐに刀を抜くのではなく、周囲とできるだけ衝突せず、管理職とも良好な関係をつくりながら、自分の授業を続けるための環境を整えてきました。「どうでもよいことでは戦わない」という姿勢です。

 北原先生は、自分とは異なる方法で人とぶつからずに生きる小原先生を、軽蔑するどころか、むしろ自分にはできないことをしていると感じ、うらやましく思っていたと話しました。小原先生も、周囲の目を気にすることなく、学校や教育の在り方に正面から向き合う北原先生を見て、「人間らしい顔をした教師」「よく戦う人」だと感じていたそうです。

 戦うか、戦わないかという方法は正反対でしたが、お二人が目指していたものは共通していました。それは、自分も生徒も楽しいと思える授業をつくり、授業を通して子どもに実力を付けることです。参加者からは、「戦略は違っても、同じ頂上を目指してきた二人」という受け止めが示されました。

北原メソッドが生まれるまで

 小原先生から、北原メソッドが生まれる以前の北原先生の授業と、その後の変化について質問がありました。

 北原先生は、大学時代から英語を話すことに慣れ、塾や家庭教師でも成果を上げていたため、教師の仕事をそれほど難しいものとは考えていなかったそうです。しかし、小原先生の授業を見て、教師の導き方によって、子どもがこれほど生き生きと変化するのかと驚きました。

 せっかく教師になったのなら、教師も生徒も楽しい授業をつくりたい。同時に、自分が受けてきた、単語テスト、何でも日本語に訳す授業、形式的にノートを取らせる指導などを見直したいと考えました。そこから、生徒の反応やアンケートをもとに、つまらないと評価された活動を減らし、生徒が参加し、英語を使い、実力を付ける授業をつくっていったと説明されました。

 仮説実験授業と北原メソッドには、教科の違いを超えた共通点があります。

 第一に、生徒目線から授業を構成していることです。教師の意図だけでなく、詳細な授業記録や生徒の感想、アンケートを授業改善の材料としています。

 第二に、限られた名人だけができる授業ではなく、優れた教材や方法を共有することで、他の教師も一定の成果を上げられる形を目指していることです。仮説実験授業には、問題の配列や授業の進め方が示された「授業書」があり、北原メソッドにも実践の道筋を示す書籍や教材があります。

 第三に、教科書に書かれた内容をそのまま説明するのではなく、退屈になりがちな教材を、生徒が参加したくなる授業へと組み直していることです。なお、小原先生は、仮説実験授業でも教科書をまったく使わないわけではなく、必要に応じて教科書も活用していると説明されました。

 第四に、「分かった」で終わらせず、「できる」「使える」ところまで子どもを導くことです。理科では科学的な見方を使って未知の問題を解き、英語では学んだ表現を実際に発話し、相手に伝わる形で使います。教科は違っても、授業の前と後で生徒が変化し、新しい課題に自分から向かえるようにすることが目指されています。

「楽しい授業」と「力のつく授業」

 対談では、授業の成功や失敗を何によって判断するかも話題になりました。

 北原先生は、授業が終わったときの子どもの表情や、生徒が示す反応を重視するとともに、英語の資格試験などの客観的な成果によって、生徒に実力が付いているかを確かめてきたと話しました。楽しく活動しているだけでは、保護者や同僚、管理職の理解を得続けることはできません。生徒の力が実際に伸びていることが必要です。

 小原先生も、「楽しい授業」は面白おかしいだけの授業ではないと強調しました。授業後のテストで高い得点を取れることや、自由電子の考え方を使って未知の問題を解けるようになることが大切です。

 テレビなどで見られる一回限りの実験ショーは、驚きや興味を生む点に価値があります。一方、仮説実験授業は、次々と提示される問題を通して、学習者が自分で仮説を立て、結果を確かめ、科学的な見方や能力を身に付けていくことを目指します。つまり、「楽しい」という柱と「実力が付く」という柱の両方が必要なのです。

 参加者からは、教師自身が楽しいと思うことも重要だという感想が多く寄せられました。教師が教材を研究し、生徒の反応を見ながら授業を改善し、自分自身も授業を楽しむ。その積み重ねによって、生徒にとっても分かりやすく、力のつく授業が生まれていきます。ただし、教師だけが楽しむのではなく、生徒の笑顔や変化を見取りながら、教師と生徒が互いに気持ちよく授業を行うことが大切です。

やんちゃな生徒も教室で出番を待っている

 対談の中で、とりわけ多くの参加者の心に残ったのが、反抗的な生徒たちについてのお話でした。

 小原先生は、当初からそのような生徒を好きだったわけではないと率直に話しました。乱暴な行動をしたり、授業を妨害したりする生徒は苦手だったそうです。しかし、仮説実験授業を続ける中で、そうした生徒が意見を述べ、実験に夢中になり、生き生きと活躍する姿を見るようになりました。授業後の感想に、「やっと俺の出番が来た」と書いた生徒もいたそうです。

 教室で活躍する場がないために、別の場所で自分の存在を示そうとすることがあります。しかし、本当はどの生徒も教室の中で認められ、活躍したいと願っているのではないか。小原先生は、授業を通してそのことに気付き、やんちゃな生徒たちへの見方も変わっていったと話しました。

 ワークショップ後に視聴した過去の授業映像でも、髪形や態度から一見すると授業に反発しそうに見える生徒が、自ら手を挙げて教材を読み、実験結果について堂々と意見を述べていました。教室全体が、誰でも安心して参加し、自分の考えを言える場になっていました。

 参加者からは、小原先生は生徒指導を苦手だと話していたものの、実際には授業そのものを通して生徒指導を行っていたのではないかという指摘がありました。生徒を押さえ付けるのではなく、一人一人に出番を与え、考えを認め、学習の中で自信を持たせることによって、教師と生徒との信頼関係が築かれていたからです。

その他

過去の授業映像から確認できたこと

 例会では、小原先生の若い頃の授業を取材したテレビ番組の映像も視聴しました。映像では、豆電球のガラスを割ったとき、電球が「つく」「つかない」「少しついてすぐ消える」「その他」のどれになるかを、生徒が予想していました。

 生徒たちは、電球の中には明るくするための薬品が入っているのではないか、ガラスが割れて中身が外へ出るとつかなくなるのではないかなど、それぞれの考えを発表しました。討論を聞いた後、小原先生は「予想を変更したい人はいるかな」と尋ね、生徒の考えの変化を確認しました。実験の結果は、「少しついてすぐ消える」でした。

 授業後には感想を書く時間があり、小原先生は、「当たってうれしいでも、外れて悔しいでも、今の気持ちを書けばいい」と声をかけていました。実際の感想には、「わくわくした」「楽しかった」「自分の意見を言えた」といった言葉が見られました。

 数十年前の映像でありながら、問題を提示し、全員に予想させ、理由を聞き、討論し、予想の変更を認め、最後に実験するという流れは、今回のワークショップとほとんど変わりませんでした。参加者からは、仮説実験授業の方法が一時的な工夫ではなく、長年の実践を通して確立され、再現可能な形で受け継がれていることへの驚きが示されました。

自分に合ったモデルを持つ

 例会後の交流の中では、教師が成長していくために、モデルとなる人を見つけることの大切さも話題になりました。ただし、優れた教師と同じ目標を目指すとしても、そこへ至る過程や、生徒との接し方まで同じである必要はありません。

 北原先生と小原先生は、ともに子どもの立場から授業を考え、楽しく力のつく授業を目指していましたが、学校内での人との関わり方や問題への対応は大きく異なっていました。戦う方法が合う人もいれば、衝突を避けながら授業に力を注ぐ方法が合う人もいます。他者の実践をそのまままねるのではなく、モデルから学びながら、自分にできる方法を考え続ける必要があります。

英語授業へどのように生かすか

参加者からは、仮説実験授業をそのまま英語に置き換えることはできなくても、その考え方には英語教育に生かせる部分が多いとの意見が出されました。

 例えば、すべての生徒がまず選択肢を選べるようにすること、正解かどうかを気にせず理由を言える雰囲気をつくること、教師が答えを先回りして教えないこと、他者の考えや実演を見て自分の考えを修正させること、既習事項を未知の課題に使わせることなどです。

 また、英語が自然に習得されていく過程を柱に授業を構成することも重要です。単語、文法、音読、会話などを断片的な活動として扱うのではなく、音声で理解し、言えるようになり、相手に伝え、さらに新しい場面で使うという一続きの学びとして構成する必要があります。

 小手先のゲームや一時的な盛り上がりだけでは、学んだ内容は残りません。子どもがもともと持っている好奇心、向上したいという気持ち、教室で活躍したいという願いを刺激しながら、基本的な知識や技能を使って未知の課題に向かわせることが、教科を問わず、よい授業をつくる土台になるのではないかという考えが共有されました。

おわりに

 今回の例会では、仮説実験授業の「予想―討論―実験」という流れを、参加者自身が生徒として体験しました。身近な一円玉から始まった問題が、硬貨、紙幣、さまざまな素材へと広がり、最後には自由電子という基本的な考えを使って未知の問題を予想するところまで発展しました。

 その過程で、一人一人の予想を確認すること、「なんとなく」でもよいと認めること、少数派の意見にも耳を傾けること、間違いを学びの出発点として扱うこと、教師が答えを説明し過ぎず、学習者自身に確かめさせることの大切さを学びました。

 第2部の対談からは、教師としての性格や学校での戦略が大きく異なっていても、生徒の立場に立ち、教師自身も楽しみながら、生徒に確かな実力を付ける授業を目指す点では、お二人が深くつながっていることが分かりました。

 授業は、知識を一方的に教える時間ではなく、生徒に「分かった」「できた」「自分の考えを言えた」という喜びを生み出すことのできる時間です。そして、本当の意味で楽しい授業とは、一時的に盛り上がる授業ではなく、一を知ることによって十や百を知り、学んだことを未知の問題に使えるようになる授業です。

 子どもたちが安心して考え、間違い、語り、挑戦できる教室をつくること。そして、教師自身が授業を楽しみながら、生徒の笑顔と実力の両方を追い求めること。今回の例会は、教科を超えて授業の本質を考え、自分自身の授業を見直す機会となりました。